これは機械翻訳された記事です。原文は英語です。
1988年の夏、イランは急ごしらえのシャトルタンカー方式で原油を送り出していた。タンカーは、かつて同国の原油輸出の90%を担いながら爆撃で廃墟と化したハールク島のターミナルから、シーリー島とラーラク島に設けた即席の積み出し地点へと往復した。両島はペルシャ湾のはるか南、イラク空軍の行動範囲の外縁にあったが、やがてイラクのジェット機はそこにも届くようになった。送り出せたのは戦前の能力のごく一部にすぎず、それも莫大な費用をかけ、絶え間ない脅威のもとで積み込まれたものだった。しかも、その原油が手にする価格は半分に削られていた。サウジアラビアが市場に原油をあふれさせると決めたことで、原油価格は1985年末の1バレル30ドル前後から、1986年春にはかろうじて10ドルというところまで暴落していた。石油輸出で戦争を賄う国にとって、軍への補給を支える収入は月ごとに流れ出ていった。
7月20日、テヘランが国連に正式に通告してから2日後、テヘラン放送はホメイニー師のメッセージを流した。国連安全保障理事会決議598号を受け入れるという内容である。サッダーム・フセインが倒れるまで戦い抜くと8年間誓い続けた末に、イランがまる1年拒んできた停戦決議だった。ホメイニーはこの決断を、毒杯をあおることになぞらえた。
毒とは、もはや覆すための金を払えなくなった敗北の連鎖だった。その春から夏にかけて、イラクの攻勢はファオをはじめ、イランが占拠していたイラク領の大半を奪い返し、イランの戦車や火砲の多くを鹵獲し、イラン領内にまで押し込んだ。首都が陥落したわけでも、軍が降伏したわけでもない。だが、立て直すには金が要り、その金が尽きていた。兵器を輸入するための外貨も、戦時経済を支える輸出収入もなかった。その一方で、ソ連の兵器と湾岸アラブ諸国の資金を潤沢に得たイラクは、思うままに損害を与えていた。8年の歳月と数十万の命を、絶対的な神学的信念に基づく立場に費やしてきた政府が、戦場で勝つことも、軍を再建する費用を払うこともできなくなったとき、その立場を捨てたのである。
イラン・イラク戦争を終わらせたのが戦場と同じくらい金だったのなら、より大きな問いは、金が戦争一般を終わらせるのかどうかである。もしそうなら、それは米国とイランの了解覚書、つまり2026年6月に署名され、数週間のうちに崩れたホルムズ海峡合意について何を予言するのだろうか。
問いの立て方が違う
戦争がなぜ終わるのかについての通説は、単純な論理で動いている。一方が勝つか、双方が消耗し尽くすか、外交官が和解を仲介するか、である。時期を決めるのは軍事的な結果だ。強い側が勝つ。新聞報道やテレビの解説、そして大半の外交論評に暗黙のうちに置かれた前提を形づくっているのは、この枠組みである。その範囲では、筋の通った正しい説明だ。
だが、人々がいちばん答えを知りたい問い、つまり特定の戦争がいつ終わるのか、そしてその終わりが持続するのかに答えるには、あまりに不完全でもある。
政治学者ジェームズ・フィアロンが出発点にしたのは、一つの謎だった。戦争が関係者全員にとって高くつき、破壊的なものであるなら、合理的な当事者は、双方が戦うよりも好ましいと考える交渉による決着を必ず見つけられるはずだ。それでも戦争は起きる。戦争が続くのは、二つのメカニズムのためである。一つ目は、偽る誘因をともなう私的情報だ。各当事者は自らの能力と決意について、相手に信頼できる形では明かせない事柄を知っている。二つ目はコミットメント問題である。どちらの側も、とりわけ力の均衡が動き続けているときには、合意を守ると保証することができない。同じ論理を戦争の終わりに当てはめると、戦争が止まるのは、戦闘によって情報の隔たりを埋めるだけのことが明らかになったとき、あるいは提示された決着が双方にとって戦い続けるコストよりもましに見えたときだということになる。
戦場での結果は、その計算に入る要素の一つである。戦い続けるための金も、また一つの要素だ。それぞれを「地図」と「帳簿」と呼ぼう。
地図は誰がどの領土を支配しているかを示し、帳簿はその支配を続ける余裕があるかどうかを示す。1988年の春から夏にかけて、地図はホメイニーに不利な方向へ動いた。イラクがファオ半島を奪還し、イランの陣地を次々に打ち破り、イラン軍を国境の向こうへ押し戻したのである。テヘランは陥落しておらず、イランにはまだ戦場に軍がいた。だが、失ったものを立て直す費用は払えなかった。帳簿が崩壊していたからである。
フィアロンの謎は、戦争がどのように始まるかに関わるものだった。のちに彼が内戦の長さに目を向けると、ダイヤモンドやアヘン、コカといった密輸資源で資金を得ている内戦は、そうでない内戦よりも大幅に長く続くことがわかった。そうした戦争を賄う金は、地上で何が起きていようと流れ込み続ける。シエラレオネのダイヤモンド鉱山にとって、どちらが勝っているかは関係なかった。反政府勢力は掘り出したものを売り続け、戦争は資金を保ち続けた。
国家間の戦争も同じ論理に従う。1816年から1991年までに戦われた104の国家間戦争を分析したブラニスラフ・スランチェフは、コストと能力をめぐる不確実性が残るあいだ戦争は長引き、外交では明らかにできなかったこと、すなわち戦争が各当事者にどれだけの犠牲を強いているかを戦闘が明らかにしたときに終わることを示した。そして戦争が長引くほど、開戦した側が最終的に受け入れる条件は悪くなる。抵抗が1か月延びるたびに、それは敵が予想以上に手ごわいという情報になる。スランチェフのデータでは、戦争の終わり方を決めるうえで、この新しい情報が単純な資源の量を上回っていた。
一つ但し書きがある。「ほとんどの戦争は交渉によって終わる」という主張は、歴史的には新しく、しかもまだらにしか当てはまらない。1946年以前、交戦した国家の組み合わせのほぼすべてが、明確な勝者が出る形で戦いを終えていた。第二次世界大戦後は、44%余りが引き分けに終わった。内戦も遅れて同じ道をたどった。冷戦期には5件に4件が一方の他方に対する勝利で終わったのに対し、1989〜1997年に終結したもののうち70%が休戦か交渉による和解で終わった。交渉による和解が内戦終結の主要な形態になったのは冷戦後のことにすぎない。平和維持活動や制裁体制、第三者による仲介が、どちらかが戦場で打ち負かされることを必要とせずに、交戦当事者の費用対効果の計算を変え始めてからである。
コミットメント問題――そして、それが停戦後も生き延びる理由
コミットメント問題は、署名者がどれほど誠実であっても成り立つ。戦争を引き起こした条件がなお存在するときに、当事者たちはこれまでと違う振る舞いをすると信頼に足る形で約束できるだろうか。経済的な強制のもとで署名された合意は、弱い側にとって、自らの能力が回復しさえすれば破るあらゆる誘因がある合意である。この問題は銃撃が止んだ後も残り、根底にある誘因の構造が変わるまで続く。あまりに多くの停戦がその構造に手をつけないまま放置しており、だからこそその多くが失敗するのである。
閾値を動かすもの
費用対効果の計算がある閾値を越えたときに戦争が終わるのだとすれば、次にすべきことは、何が戦争をその閾値の向こうへ押しやるのかを突き止めることである。データの蓄積が最も厚い内戦が、最も鋭い答えを与えてくれる。
内戦の長さを左右する最もはっきりした梃子の一つは、交戦国が輸出する一次産品の価格の下落である。メカニズムは身も蓋もない。一次産品の輸出は外貨を生み、外貨は輸入兵器を買う。世界価格の暴落であれ、輸出インフラへの爆撃であれ、制裁による輸出経路の締めつけであれ、輸出収入が落ち込めば、兵器を調達する能力は低下し、軍はより早く物資不足に陥る。ほかの変数も効いていた。1人当たり所得が低いと戦争は長引いた。反政府勢力の側に立つ外部からの軍事介入は、紛争を短くした。同じ研究の初期版では、反乱勢力に隠れ場所を与える広い森林被覆も、紛争を長引かせることが見いだされていた。以下の事例にとって最も重要なのは一次産品価格の効果である。それが戦争の長さを、戦費を賄う金に直接結びつけるからだ。
これらの知見は内戦から得られたものである。交渉理論は国家間戦争にも同じメカニズムを見いだすが、そこでの一次産品価格の効果を同じ精度で測った者はいない。したがって、以下の国家間戦争の事例は、メカニズムを証明するものではなく、例示するものである。
価格や予算が戦争を終わらせるのは、決定を下す人間を通じてだけである。戦い続けることの予想コストが予想される見返りを上回り始めると、戦争遂行の装置を握るエリートたちは、連合が掲げる目標とは別に、自らの利益を計算し始める。経済学者ポール・コリアーが論じてきたように、ある種の派閥にとっては戦争そのものが一つの経済システムであり、資源の収奪やパトロネージ、密輸を通じて収入を生み出す。そうした派閥には、戦争がまだ自分たちに利益をもたらしているあいだは、やめる理由がほとんどない。
エリートの離反が停戦の時期を予測するかどうかを、多数の戦争にわたって測った者はいない。だが、輸出収入の暴落が、特定の部屋にいる特定の人物による停戦の決断に変わるのは、エリートの計算においてである。1988年のホメイニー、1991年のジョージ・H・W・ブッシュ、2026年のイラン指導部がそうだった。
制裁、信用の制限、武器禁輸、資産凍結といった形をとる第三者の経済的圧力は、外から課される人為的な一次産品価格の暴落のように働く。それは戦場での優位を必要とせずに、経済的に立ち行かなくなるまでの時間を縮める。制裁が政府を倒すことはめったにないが、戦争が割に合わなくなる時点を早めることはできる。
毒と貸借対照表――イラン・イラク、1988年
このメカニズムを最もはっきりと示すのがイラン・イラク戦争である。最大限の目標を掲げ、大量の犠牲を受け入れると公言した神権政府が、8年間にわたって戦い続けることを公に約束し、軍が敗れつつあり、もはやその再建費用を払えなくなったときに戦いをやめた。
1988年7月に先立つ数か月のあいだに、三つの糸が一つにより合わさった。第一はインフラである。ハールク島の積み出しターミナルは世界最大級のもので、1日数百万バレルを扱えるように造られていた。
1982年以降、イラク空軍の爆撃作戦は何年にもわたってハールクのターミナルを叩き続け、貯蔵タンクや積み込み桟橋、シャトルタンカーの船団に絶え間なく攻撃を加えた。イランは即興で対応した。原油はハールクで小型のタンカーに積まれ、ペルシャ湾を南下してイラクの攻撃圏の外縁にあるシーリー島とラーラク島まで運ばれ、そこで超大型タンカーに積み替えられて輸出された。この方式によって石油は動き続けたが、それは戦前の能力のごく一部にとどまり、物流コストは過酷で、シャトル航路そのものが絶えず攻撃にさらされていた。1984年から激化し、ついには米海軍まで引き込んだタンカー戦争は、何よりもまずイランの輸出収入に対する戦争だった。
第二は価格である。サウジアラビアが生産抑制を放棄すると決めたことが世界的な暴落を引き起こし、価格は1985年末の1バレル30ドル前後から、1986年春にはかろうじて10ドルにまで下がった。わずか数か月でおよそ3分の2が失われたことになる。すでに損傷したインフラを通じて少ない量を輸出していたイランにとって、これは二重の大災難だった。外に出せる石油は減り、1バレルの価値は1年前の半分にも満たなくなったのである。
イラクも同じ価格ショックに見舞われ、自国のペルシャ湾岸のターミナルは開戦直後から閉鎖されていた。だが、トルコとサウジアラビアを通る新しいパイプラインによって、1987年までに戦前の生産量の大半を回復しており、しかもイラクには、資金力が豊富で、小切手を切り続ける戦略的な理由をもつ後ろ盾がいた。イラクの対外的な戦費の大部分を提供したのは湾岸の君主国であり、湾岸アラブ諸国からの融資と供与の総額は、推計で370億ドルから600億ドル超までの幅がある。主な出し手はサウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦だった。これらの国々がイラクを支えたのは、イランが勝利すればイスラム革命がペルシャ湾一帯に輸出されることを恐れたからである。イランにはそれに相当する後ろ盾がなかった。テヘランは主に、縮小し続ける自国の輸出収入で戦いを賄っていた。
第三は兵器である。1986年から1988年にかけて、モスクワはバグダッドに推定90億ドル相当の兵器を送り込んだ。そこにはおよそ2000両の戦車と、途切れることのないスカッドミサイルの供給が含まれていた。紛争全体を通じて、ソ連の軍事支援が最も集中した時期である。モスクワは、イランが勝てばイスラム革命がソ連領中央アジアに輸出されることを恐れていた。アフガニスタンからの撤退を決めたことでその懸念はいっそう強まっており、ソ連は武器の供給ルートを、その伝染に対する保険として使ったのである。
ソ連による支援の急増が、イラクの最後の攻勢を可能にした。1988年4月17日、イラク軍は、イランが2年間保持していたファオ半島をおよそ35時間で奪還した。イラクは共和国防衛隊を主力とする約10万の兵力を、おそらく1万5000ほどのイラン側守備隊にぶつけ、イランの戦線に神経ガスとマスタードガスを浴びせた。イラクには新たなソ連製の機甲戦力と航空優勢と化学兵器があり、イランには、もはや補充のきかない底をついた備蓄しかなかった。ファオのイラン兵は戦いで負けた。だが同時に、火力で圧倒され、毒ガスを浴びせられ、資金でも打ち負かされていたのである。
1988年の敗北は現実のものだったが、イランが恒久的に明け渡した領土はなかった。それでも一連の敗戦が戦争の終わりとなったのは、失ったものを何一つ補えなかったからである。輸出収入は骨抜きにされ、石油インフラは破壊され、外貨は使い果たされていた。その一方で、まさにイランの補給が崩れつつあったその時に、敵の補給は加速していた。夏までに、イランの帳簿はもはや戦闘の継続を支えられなくなっていた。
ヴィンセンスをめぐる問い
ホメイニーの放送の17日前にあたる1988年7月3日、米艦ヴィンセンスはペルシャ湾上空でイラン航空655便を撃墜し、乗っていた290人全員が死亡した。この事件が決定的だったかどうかについては議論がある。一方の解釈は、戦争が続けば米国が関与を拡大するという合図だったと見る。もう一方は、経済の崩壊がすでに決定的であり、撃墜はせいぜい促進剤にすぎなかったと考える。イラン側の記録は一部しか公開されていない。決定の理由を説明したホメイニー自身の書簡は2006年にラフサンジャニが公開したもので、5年以内に勝利の見込みはないという司令官たちの予測と経済の弱さを挙げているが、より広い審議の多くはいまも表に出ていない。戦争終結の経済的条件は撃墜の前にすでに整っていた。したがって、撃墜が時期を数日動かしたにせよ数週間動かしたにせよ、構造的な説明はそれとは無関係に成り立つ。
計算された停止――湾岸戦争、1991年
イラン・イラク戦争は強いられた終結だった――戦い続けたいのに、その余裕がなくなった政府である。1991年の湾岸戦争は構造的にその正反対にあたる。勝っている側が選んだ意図的な停止であり、その理由は、さらに先へ進むことの予想コストが予想される見返りを上回ったことにあった。
1991年2月下旬までに、多国籍軍はクウェートにおけるイラクの軍事力の大半を破壊し、共和国防衛隊に深手を負わせていた。ただし、その多くはユーフラテス川の向こうへ逃れた。ブッシュ政権は、バグダッドまで進撃しないことを決めた。
その判断の理由は、決定を下した当事者たち自身によって異例なほど率直に記録されている。彼らが語ったのは、領土や兵力比ではなく、米国人の命、多国籍軍内部の政治、出口のない占領を天秤にかけた、コストと見返りの比較だった。戦争中に国防長官を務めたディック・チェイニーは、1994年にアメリカン・エンタープライズ研究所での講演でその考えを詳しく説明した。バグダッドを奪えば、米国は孤立したまま、ばらばらに砕けかねない国を占領することになる、と彼は警告した。「そこまで進んでイラクを乗っ取ろうとすれば、泥沼になる」。本当の問題は、と彼は言った。「サッダームには、あと何人の米国人の死に見合う価値があるのか。我々の判断は、たいした数ではない、というものだった。そしてその判断は正しかったと思う」。
ジョージ・H・W・ブッシュとブレント・スコウクロフトは1998年の回顧録で、さらに進めば「バグダッドを占領し、事実上イラクを統治せざるを得なくなっていた」と書いている。彼らは民族的・宗派的な分裂、多国籍連合の崩壊、そして出口の見えない軍事的関与を予見していた。コリン・パウエルも同じ評価を共有していた。戦争を終わらせるための戦略は、作戦計画や実際の作戦とすり合わせるどころか、完成さえしなかった。戦争があまりに早く終わったため、首脳たちは費用対効果の分析をその場で即興でこなしたのである。権力を握る人々は、継続することの予想コストが、継続によって手に入るものすべてを上回ると判断した。
2003年2月、国防副長官ポール・ウォルフォウィッツは下院予算委員会で、戦後のイラクに「数十万」の兵力が必要だとするシンセキ大将の見積もりを「まったくの的外れ」だと述べた。彼は、イラクの石油収入が復興費用の相当部分を相殺するだろうと主張した。1991年には、コストをめぐる本物の不確実性が自制を生んだ。2003年には、自信に満ちた想定が計算を押しのけた。1991年の決断を下した当の高官たちの一部、チェイニーやウォルフォウィッツも含めた人々が、かつて重んじた算術をいまや一蹴したのである。
1991年の停戦は、その骨格において12年間持ちこたえた。飛行禁止空域での衝突や空爆がはさまったものの、全面戦争に逆戻りすることはなかった。停戦を保たせたのは止めるという決断そのものだった。止めることによって、イラク国家の強制装置、すなわち、いかに残忍であれ国内の秩序を維持していた構造が温存されたからである。2003年にその装置が取り除かれると、1991年の費用対効果分析が予見していた結果が生じた。宗派間の崩壊、武装反乱、8年に及ぶ米国の軍事関与、数兆ドルの支出、そして一世代にわたって不安定化した地域である。
一次資料
ブッシュとスコウクロフトの回顧録『A World Transformed』は、このジャンルとしては異例なほど明快である。決定を下した2人が、2003年がその論理を試すことになる何年も前に、自らの推論を詳しく書き記していた。『タイム』誌は1998年3月、その抜粋を囲み記事として掲載した。2003年の侵攻を設計した1人であるチェイニーは、その4年前に同じ論拠を録画の残る場で語っていた。
停戦はなぜ死ぬのか
戦争を止めることと、止まった状態を保つことは別の問題である。そして後者の研究は、のちに大きく下方修正された一つの数字から始まる。
見出しを飾ってきたあの数字を生み出したのは、経済学者のポール・コリアーとアンケ・ホフラーである。彼らの推計によれば、内戦が終わった直後の国は、5年以内に紛争が再発するおよそ50%のリスクに直面する。この数字は国連文書に入り込み、平和構築委員会の準備を方向づけ、政策提言書や閣僚演説で誰もが引用する数字になった。のちに2人の研究者、アストリ・スールケとイングリッド・サムセットは、コリアー自身のチームがひそかにこの推計を4年間で約23%へと修正していたこと、そして同じデータを単純に数えると、5年以内に2度目の戦争が起きたのは約4分の1の事例にすぎなかったことを示した。この修正はほとんど注目されなかった。50%という数字は、まるで誰も疑問を呈したことがないかのように、いまも政策文書の中で流通している。
正確な数字そのものよりも、それが指し示す問いのほうが重要である。再発率が25%であれ50%であれ、持ちこたえる合意と崩れる合意を分けるものは何なのか。
内戦がどのように決着するかを研究するバーバラ・ウォルターは、二つの条件を挙げる。一つ目は、信頼できる第三者による安全保障で、これは双方にとって離反の即時的なコストを引き上げる。二つ目は、かつての戦闘員に紛争後の秩序への直接の利害を与える権力分有の取り決めである。外部からの強制がなければ、コミットメント問題が再び頭をもたげる。強制のもとで署名した側は力の均衡が変わるのを待ち、譲歩を引き出した側にはそれを防ぐ仕組みがない。政治、領土、軍事、経済のいずれであれ、権力分有の次元をより多く組み込んだ合意は、大幅に長持ちする。この含意は逆向きにも働く。部分的な再編は、安定した代替策を生み出さないまま、既存の取り決めを乱しかねないのである。
条項ごとに見ていくと、和平合意の経済面も似た物語を語る。再統合資金や職業訓練、元戦闘員への直接給付といった私的財の条項は、平和を著しく長持ちさせた。記者会見で最も見栄えのする国家開発計画や全般的な復興公約といった、広く公共財を約束する条項は、大半がまったく違いを生まなかった。効果があったもう一つの条項は財政連邦主義で、これは地域に自らの課税と歳入の管理権を与えるものである。
これらの知見を合わせて読むと、同じ方向が見えてくる。戦闘を合理的なものにしていた金融の構造が停戦後も生き残り、資源をめぐる競争、パトロネージのネットワーク、密輸経済、エリートの収入源が署名のインクが乾いた後もそのまま残っているとき、合意は失敗しやすいのである。
ダイヤモンド鉱山を支配する軍閥が和平合意に署名したとしよう。合意は、停戦条件や非武装地帯、ことによると新しい憲法によって暴力に対処する。だが、軍閥はなお鉱山を支配しており、民兵組織を賄ってきた収入の流れは途切れず、民兵組織に加わっていた戦闘員たちにはいまも収入が必要だ。合意は銃撃に対処したが、銃撃を支える経済の論理には手をつけなかったのである。
シエラレオネやリベリアから、コンゴ東部、南スーダン、アフガニスタンに至るまで、失敗した和平合意はおおむねこう言い表せる。資源は異なる(シエラレオネではダイヤモンド、コンゴではコルタン、南スーダンでは石油、アフガニスタンではアヘン)。だが、どの事例でも、戦闘を合理的なものにしていた金が停戦よりも長く生き延び、戦闘は戻ってきた。
DDR――そして、経済を伴わない武装解除が機能しない理由
武装解除・動員解除・社会復帰(DDR)プログラムは、戦闘員を市民生活へ移行させるための国際社会の標準的な手段である。私的財に関する知見は、その芳しくない実績を説明する。代わりの生計手段を提供せずに武器だけを回収するプログラムは、再動員への経済的な誘因をそのまま残してしまう。収入も土地も見通しもない元戦闘員は、いつでも再び徴募されうる存在であり続ける。
海峡の60日――イランとの覚書をチェックリストに照らす
2026年10月更新:覚書は6月17日に署名され、8月までに崩壊した。2026年10月時点で、代わりとなる合意は報じられていない。
2026年5月下旬、米国とイランの了解覚書案の輪郭が、一連のリークと公式の確認を通じて明らかになった。ホルムズ海峡は再開され、船舶の航行は「無制限」と宣言され、イランには自ら敷設した機雷を除去するために30日間が与えられる。米国はイランの港に対する海上封鎖を解き、イランが自由に石油を売れるよう制裁の適用除外を出し、停戦は協議のために60日間延長される。イランの側は、自国の核開発計画について交渉する。そこには、さらに濃縮すれば核兵器数発分に足る、濃縮度60%のウラン約440キログラムの扱いも含まれる。この数字は査察官が2025年6月に出した最後の推計であり、それ以降、彼らは確認できずにいた。イランは核兵器を追求しないことを約束する。レバノンとヒズボラをめぐる停戦条項も盛り込まれたが、その範囲はたちまちテヘランとワシントンのあいだの争点になった。
6月1日、イランの国営メディアは、テヘランが仲介者を通じた米国との一切の連絡を停止すると発表し、海峡を完全に封鎖すると宣言した。理由として挙げたのは、レバノンでのイスラエルの軍事作戦が停戦違反にあたるということだった。レバノンという側面は、それ自体が構造的な問題だった。テヘランは停戦がレバノンを含むすべての戦線に及ぶと主張し、イスラエルはそれにかまわずヒズボラへの攻撃を続けた。報じられた条件はレバノンを対象に含んでいたが、イスラエルはその当事者ではなかった。そのため、どちらの側も停戦を自分なりに解釈する余地が残った。構造分析なら予測できたはずの隙間であり、6月1日の連絡停止がそれを裏づけた。
数時間後、トランプはトゥルース・ソーシャルに、協議は「イラン・イスラム共和国と急速なペースで続いている」と投稿した。6月17日、両者は覚書に電子的に署名した。停戦の60日間延長、海峡の段階的な再開、米国による封鎖の解除、イラン産石油の販売に対する適用除外である。覚書は夏を越せなかった。誰が航路を管理し、誰が通航料を課せるのかをめぐる争いが履行を停滞させ、イランは許可した航路から外れたとする船舶に発砲し、6月下旬には米国の攻撃が再開された。8月半ばには、海峡はふたたびイランの承認のない船舶に対して閉ざされ、米国の封鎖は復活し、トランプは協議の予定すらないと語っていた。
この合意が正しく捉えていたのは、その標的である。海峡の再開と制裁の適用除外は、輸出収入をまっすぐに狙っていた。
報じられた条件のもとでは、イランの短期的な経済状況は大きく改善していたはずだった。石油は流れ、外貨は戻り、目先の財政圧力は和らぐ。フィアロンの言葉でいえば、合意の順守が短期的にはより有利な賭けになったのである。経済的な見返りをもたらさずに譲歩だけを求める停戦は、順守する誘因を何も生まない。公表された草案は本物のアメを差し出していた。署名の日からの石油輸出の適用除外、凍結資金へのアクセス、そして最終合意が成立した暁には少なくとも3000億ドル規模の復興計画を用意するという約束である。
弱点はほかにあった。第一に、覚書は革命防衛隊の経済的利益に手をつけていなかった。
推計によれば、イスラム革命防衛隊と結びついた企業や組織が占める割合は、イランのGDPの3分の1から3分の2のどこかにある。この幅の広さそのものが、仕組みがいかに不透明かを物語っている。研究者のカイハン・ヴァラドバイギは、より広い軍・ボニヤード複合体、つまり革命防衛隊と革命財団(ボニヤード)を合わせた部分の比率を、2013年のイランのGDPの半分超と算出している。革命防衛隊は、西側の制裁を足がかりにその経済帝国を築き上げた。制裁は、輸入経路と国内市場から革命防衛隊以外の競争相手を排除し、密輸ネットワーク、地下銀行、そしてテヘランが「抵抗経済」と呼ぶものに対する革命防衛隊の支配を固めた。2006年、憲法第44条に基づく最高指導者の布告は、大規模国営企業の株式の80%を民間部門と協同組合部門に売却するよう命じた。実際には、「民営化」されたものの多くが、年金基金やボニヤード、革命防衛隊系の複合企業といった半官の買い手の手に渡り、建設、通信、エネルギー、銀行、輸出入にまでその手を広げさせることになった。
構造的な問題は、国際貿易の正常化が革命防衛隊の独占的な地位を脅かすことにある。経済を外国との競争に開けば、囲い込まれた市場、密輸の利ざや、地下金融という制裁時代の優位は削られていく。イランの2025〜26年度予算案は、石油・ガス輸出収入のうち政府の取り分の51%、約120億ユーロを、革命防衛隊を含む軍に割り当てていた。石油収入の一定の取り分を保証された組織は、その収入が流れる条件を支配することに実利を持ち、自らの取り分を薄めたり、自らが活動する経路を開放したりするいかなる取り決めにも抵抗する強い利害を持つ。
イラン経済を弱らせた制裁は、その経済における革命防衛隊の取り分を強めた。覚書は国家全体の費用対効果の計算を変えた。だが、合意の順守を妨害する力を最も多く持ち、正常化によって金銭的な利益を脅かされる派閥の計算は変えなかった。その結果生まれたのは、国家の次元では合理的に見えながら、経済的な誘因が国益と食い違う当事者によって骨抜きにされうる合意だった。
第二に、覚書は政治的に最も爆発力のある譲歩を、双方が同意した場合にしか延長できない60日間の交渉期間に詰め込んだ。イランの核開発計画は、国際的には同国の最も強力な交渉材料であり、国内では最も感情をかき立てる象徴でもある。実権を握る強硬派、すなわち革命防衛隊、治安機構、最高指導者事務所は、まさに核をめぐる反抗から政治的正統性を引き出している。いまの石油収入と将来の復興基金が、核での譲歩にともなう国内政治のコストを相殺できるほど大きな経済的誘因になるのか。それは覚書の構造では答えられない問いだった。再発研究が指針になるとすれば、経済的誘因が効くのは、それが持続的で構造的なときである。目先の見返りは本物でも、構造的なものはすべて、これから交渉しなければならない最終合意に先送りされているときではない。
第三に、公表された覚書は停戦後も生き残る金融の構造に手をつけなかった。革命防衛隊以外の経済主体を国際市場に組み込むための合意後の仕組みはなく、制裁逃れの経済が支えるパトロネージのネットワークにも構造的な変更を加えなかった。先に見た内戦では、まさにそうした生き残ったネットワークのところで合意がほころびたのである。
革命防衛隊の経済的利益に手をつけない合意はどれも、それを損なう動機と手段を併せ持つ派閥と向き合うことになる。覚書の崩壊はこの予測に合致するが、それを証明するものではない。それが合意をほどいた原因だったのかどうかは、公開された記録からはわからない。
JCPOAという前例
2015年の核合意は、イランが正常化の合意に入ったときに何が起きるかを示す、手に入る限りで最も近い試金石である。2016年1月に合意が発効すると、制裁緩和が実現した。石油輸出は増え、その年のGDPは9%近く跳ね上がり、数十億ドル規模の外国との契約が実を結んだ。だが、革命防衛隊の経済的支配はさほど弱まらなかった。ボニヤードの仕組みは無傷のまま残り、並行輸入のネットワークは動き続けた。合意は2018年、米国の離脱によって崩れ始め、2019年7月からはイランが核の上限を超えるようになった。構造的な問いは、いずれにせよ革命防衛隊が合意を内側から空洞化させていたかどうかである。正常化にもかかわらず革命防衛隊の市場支配が続き、新たに開かれた分野へボニヤードが拡大し続けたことは、制裁緩和だけでは革命防衛隊の支配がゆるまなかったことを示している。彼らがその支配力を合意に向けたかどうかは、知りようがない。
1988年7月、ブレント原油は1バレル約15ドルで取引されていた。ソ連の兵器は、テヘランがそれに対抗するものを何か買えるよりも速くイラクに流れ込み、イランの外貨準備は事実上使い果たされていた。自らの献身を殉教者の数で測ってきた政府が、戦い続けるための金を使い果たしたのである。
今回、石油はふたたび流れるはずだった。そして、正常化で最も多くを失う派閥は、それを止める手段をまだ握っていた。
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メディア
2024年4月29日、サウジアラビアのリヤドで湾岸協力会議加盟国の外相と会談するアントニー・J・ブリンケン国務長官(米国務省公式写真、撮影:チャック・ケネディ) – Wikipedia
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